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Il ladro di bambini 小さな旅人

イタリア映画 (1992)

1992年のカンヌ国際映画祭、審査員グランプリ受賞作。主な登場人物は憲兵(Carabinieri、国家治安警察隊員)のアントニオと、孤児院に送られる2人の姉弟のロゼッタとルチアーノ。原題の「Il ladro di bambini」の “ladro” は泥棒。直訳すれば『子供泥棒』になる。内容は、憲兵が2人の姉弟を孤児院に送り届ける物語なので、なぜ「泥棒」という言葉が使われているのかよく分からない。確かに、アントニオは2人のことが可哀想になり、最後には、まるで父親のように2人の面倒をみながら「旅」をしていくが、それを「泥棒」と呼ぶのは、私は賛成できない。邦題の『小さな旅人』も不適切で〔子供たちだけで旅をする映画かと勘違いする〕、私の推奨は『軽薄な振る舞い』。理由は、姉弟の母が行った行為も軽薄、アントニオの同僚が行った行動も軽薄、姉の旅行中の行動も軽薄、途中でアントニオが寄った姉の家にいた意地悪な女性の行動も軽薄、シチリアに付いてからのアントニオの行動も「職務逸脱」という観点からは軽薄、そして最後に、そのアントニオの行動を軽薄と決めつけるノート(Noto)の町の警察署長の不寛容さも軽薄。すべてが軽薄の羅列なので、「旅」ではなく、そちらに着目した方がいいと考えたからだ。実際、旅そのものについては、汽車に乗っているか、車に乗っているかで、映像的にも重視されていない。旅先でアントニオと2人の子供が取る行動。そこに着目すれば、『心をつなぐ旅』としてもいいかもしれない。最初はアントニオに離反していた2人が、次第に心を許していく過程がすがすがしく描かれているから。ただし、ノートの町で署長に「児童誘拐」とまで非難・叱咤された後のアントニオの行動、特に、映画のラストで姉が弟に語りかける短い言葉は、これだけの映画の末尾を締める言葉としてはあまりに軽すぎる。だから尻切れトンボのような印象しか得られず、不満が残る。パルムドールを逃したのは当然としても、よく、グランプリに選ばれたものだと思う。

母と姉ロゼッタと3人でミラノの下町の団地に住む10歳のルチアーノ。母は、僅か11歳のロゼッタに売春行為をさせている。しかし、後で、「母に売春をさせられた11歳の少女」というセンセーショナルな見出しの躍る雑誌の表紙が出てくる以外、実際に何があったのかはよく分からない。現場を押えられた男は、連行される時、「親戚」とわめいているし、行為もロゼッタの部屋で行われているので、夫が出奔して貧困にあえぐ一家をこの男が面倒をみていたのかもしれない。もちろん、その見返りとして11歳の少女に性行為を強いるのは、重罪であることに変わりはない。母が刑務所送りになるため、ロゼッタとルチアーノは、孤児院に送られることになる。大きな疑問は、ミラノは北イタリア最大の都市なので当然孤児院はあるはずだ。それなのに、彼らが最初に向かうのはチヴィタヴェッキア(Civitavecchia)の孤児院。古代ローマの外港として知られた町だ。ミラノからはローマ経由で707キロある〔鉄道で〕距離は違うが、大阪で保護された姉弟が東京経由で横浜〔かつての江戸の外港〕の孤児院に送られるようなものだ。そのため、2人の憲兵が移送を命じられるが、そのうちの1人は、列車がボローニャ駅に着いた時、「急用があるから」と勝手に降りてしまい、若いアントニオが1人で連れていくことになる。車内で1泊し、翌朝チヴィタヴェッキアの孤児院に連れて行くと、診断書がないからと受け入れを拒否される。実は、姉が売春婦だったため、受け入れたくなかったのだが、それなら、なぜミラノ児童審所は、わざわざ、ミラノではなくチヴィタヴェッキアの孤児院を選んだのか? 11歳の売春婦だったから、ミラノでは対応できず、チヴィタヴェッキアまで連れて行ったのではなかったか? 困惑したアントニオは、ボローニャに行った同僚に電話をするが、援助を拒否される。ルチアーノが喘息の発作を起こしたため、アントニオは友人の憲兵のアパートで休憩させる。友人のアドバイスは、上官に相談しろ。しかし、なぜかアントニオは最善の提案には従わず、独断でシチリアの孤児院へと向かう。ローマから657キロ〔メッシーナまでの距離〕も離れた島だ。距離は違うが、東京から、津軽海峡を渡り、北海道の孤児院まで連れて行くことを意味する。途中、フェリーに乗るところまでそっくりだ。ここで、大きな「なぜ」が浮上する? アントニオの故郷はカラブリア州、青森県といったところだ。大阪で勤務している青森県出身の警官が、北海道の孤児院まで行く。そう考えると、アントニオのシチリア行きが如何に奇異なのかが分かる。子供たちがシチリアで生まれたから、というのがその理由だが、それが、大阪の姉弟を、横浜がダメだったから、北海道まで連れて行く理由になるのか? 映画の骨子にかかわることなので、敢えて強い不満を漏らす〔「ミラノからシチリアへの旅」ありきで、すべてが進んでいるような気がしてならない〕。さらに、時間の問題もきわめて不可解だ。チヴィタヴェッキアの孤児院には朝一番に着いたはず。そして、断られるのに1時間以上はかかったはず。ローマに着けば12時は回っている。友人のアパートで1泊したのなら分かるが、アントニオは、ローマ・テルミナ駅で、ルチアーノが喘息発作を起こしたのは「今日(oggi)」だとはっきり言っている。ということは、1泊せずに休憩しただけで友人のアパートを出たことになる。どうみても、ローマ発は14時か15時にはなる。ローマからカラブリア州までは、中央にある町ラメーツィア・テルメ(Lamezia Terme)までだと542キロ、約7時間、もう夜になっている。しかし、映画では真昼だ。絶対におかしい。さて、アントニオは、2人をわざわざカラブリアでレストランを経営している姉の家を訪ねて行く。食べさせるためと風呂に入れるためだ。3人が訪れた日、レストランではパーティが開かれていて、そこに同席した姉は、出席していた女性から罵倒される〔女性は、雑誌の表紙の目隠し線の入った顔写真から、姉の素性を知っていた〕。3人は姉の家を出て、レンタカーでさらに南下し、メッシーナ海峡をフェリーで渡って、シチリア島に入る。夜遅いので、恐らくメッシーナのホテルで1泊。翌日、シチリア島の東岸を南下するが、その際、アントニオは憲兵に相応しくない行動をとる。姉弟に海岸の楽しさを味合わせてやろうと思ったのだ。今まで、海で泳いだことのない弟のルチアーノには、泳ぎ方を教えてやる。そして、浜辺のカフェで楽しいひと時を過す。2人はすっかりアントニオに懐く。フランスから来た観光客の若い女性2人とも親しくなり、頼まれて一緒に車でさらに南下。シラクサを通り過ぎ、その先のノートの町へ。そこでのアントニオとルチアーノの会話は感動的だ。孤児院が15歳までだと聞いたルチアーノが、「15歳になったら、あんたがどこにいても、必ず会いに行くよ」と言って、アントニオに抱かれる。2人は、親子のように親しくなっていた。それが暗転するのが、ノートの町のドゥオーモ(大聖堂)前の大階段で起きたカメラのひったくり事件。犯人を捕まえたアントニオは警察に連行するが、署長は褒めるどころか、アントニオの行動を「軽薄な振る舞い」「憲兵としてきわめて不適切な行為」として強く責める。そして、直ちに孤児院に向かうよう命じる。アントニオは、姉弟を乗せてひたすら走る。深夜になり、どうしても目が開けておれなくなり、道路端に車を停めて仮眠を取る。早朝目を覚ました姉弟は、車を出て、近くの道路際にじっと座っている。「孤児院じゃきっとサッカーできる。すぐチームに入れてもらえるわよ」。この短い言葉で映画は終る。

ジュゼッペ・イエラチターノ(Giuseppe Ieracitano)は年齢不詳。役柄としては10歳の南イタリア系の少年。これが映画初主演で、以後5本の映画に脇役として出演している。この映画では、主人公は姉弟のはずなのだが、焦点が姉に当てられているため、弟の出番は意図的に削られている。喘息もち、賭けトランプ好き、泳げないの3点でクローズアップされるが、後は姉の添え物でしかない。


あらすじ

映画は、10歳のルチアーノがキッチンの片付けをしている母をじっと見つめている場面から始まる(1枚目の写真)。イタリアでも南方系(ナポリ以南)の顔立ちだ。母に、「なんで、じっと見てるの? いつまでも母さんにまとわりついてないで、友だちと遊んでらっしゃい。それとも女の子になったの?」と嫌味を言われても、動こうとしない。母は、姉の部屋を覗き、「ロゼッタ、何してるの? 早くしなさい」と言ってドアを閉めると(何をしていたのかは不明)、ルチアーノに「まだ、いたのかい」「1000リラ〔当時の100円〕あげるから、アイスクリームでも買いにお行き」(2枚目の写真、矢印は1000リラ札)と追い出す。仕方なく部屋を出たルチアーノは、どこにも出かけず、部屋の脇の階段に座ってぼんやりしている。すると、そこに背広を着た男性が階段を上がってきて、「やあ、ルチアーノ」と声をかけ、指で頬を触ろうとするが(3枚目の写真)、ルチアーノは顔を背ける。この行動から、男性が一家と親しい関係にあることが分かる。後で、この男性は11歳のロゼッタへの児童買春の罪で逮捕される。さらに後のシーンで、ロゼッタは9歳の時から売春行為をさせられていたことが分かるが、相手がずっとこの男性だったのか、不特定の客をとっていたのかは不明だ。
  
  
  

映画は、その後、①ルチアーノが遊びに行き、②警察が踏み込んで男性、母、ロゼッタの順に連行され(一番みっともないのが母親で、「離して! 何もしちゃいない! 2人の子供をかかえてるのよ!」と叫び続けている)、③騒ぎに気付いたルチアーノが何事かと見送るシーンが続き、その後、タイトルが表示される。そして、次は一気に、ミラノ中央駅へと飛ぶ。プラットホームで憲兵が電話をかけている。一緒に同行するはずの後輩のアントニオが、発車時間間際になっても姿を見せないからだ。2人の姉弟は、コンパートメントに入れられ、それを監視できる場所から電話をかけている。その時、ようやくアントニオが走ってくるのが見える。「何してた?」。「本を忘れちゃって」。2人が乗車すると同時に列車は発車した。先輩は、さっそく着替え始める。アントニオが理由を訊くと、制服のままだと子供たちが怖がるからとの返事。さらに、「なぜ、ソーシャルワーカーが対応しない?」との質問には、「さあな。引き受け手がない時は、憲兵に押し付けるのさ」。「少女は11歳なのか?」。「そうだ。2年間、売春をやってた」。そこまで言うと、先輩の同僚は、勝手な頼みを押し付ける。「お願いがある。お前は、友達だろ? ボローニャで急用ができた〔ミラノから218キロ、解説で使った対比だと、大阪で乗車し名古屋で下車するイメージ〕。だから、孤児院にはお前1人でいってくれ」。「一体 何考えてる?」。「孤児院まで直行したら、渡した番号に電話してくれ」。私用で本務を途中で放棄し、慣れない後輩に任せるとは、ひどい同僚だ。ボローニャを暗くなってから発車しているので夜行列車だ。古いトーマス・クックの時刻表を見ると、ボローニャ~ローマ間412キロは5時間程度、まだ暗い早朝にローマ・テルミニ駅に着く。コンパートメントの中では、ルチアーノはもう寝ている(1枚目の写真)。ロゼッタは、夕食代わりにスナックを食べさせようとコンパートメントに入って来たアントニオに、「もう1人の警官はどうしたの? ケンカしたの?」と訊く(2枚目の写真)。「警官じゃない、憲兵だ」。「同じじゃないの」。「違う」(アントニオは、憲兵であることに誇りをもっている)。アントニオは、眠るようにと示唆し、消灯してコンパートメントを出て行く。そして、制服からくだけた格好に着替えると、コンパートメントの前の廊下の補助シートに座る。2人が寝ていることを確認すると、持参した書類を点検する(ミラノ児童審所の命令書と市役所の2人の写真付きの文書(3枚目の写真))。
  
  
  

3人は、ローマ・テルミニ駅経由でチヴィタヴェッキア駅に到着する。ローマ~チヴィタヴェッキア間は81キロ、約1時間。もう明るくなっている。ロゼッタが「お腹すいた」と言ったので、駅舎内の売店に立ち寄る。ロゼッタは、「クリームパンとカプチーノとコーク」と食欲旺盛だが、ルチアーノは、アントニオが「何が食べたい?」と訊いても答えずにフラフラと歩いて行く。「君の弟、どうしたんだ?」。「昨日から何も食べてない。かすみ食べてるのよ」。ルチアーノは、隣の店でポテトチップを1袋買い、逮捕前に母がくれた1000リラを渡す。ルチアーノがポテトチップを持ってテーブルに座っているのを見つけたロゼッタは、寄っていくと、「これ、買ったの?」と訊く(1枚目の写真)。頷くルチアーノ。「お金、どこで手に入れたの?」。ルチアーノは何も言わない。ロゼッタは、自分が体で稼いだお金が弟の手に渡ったことが許せない。そこで、「小遣い持ってるなんて、ムカつくわね」と言ったものだから、髪をつかみ合っての喧嘩になる(2枚目の写真)。すぐにアントニオが割って入る。最初はロゼッタを叱り、目を攻撃された(多分、嘘)と言うと少し同情し、泣き続け「あたしを殺したいのよ」と言うと、「無事の届けるから」とルチアーノの方が悪いように言う〔ずっと後で、ルチアーノは「姉さんが泣けば、誰だってイチコロだ」と言う〕。ルチアーノからしてみれば、孤児院行きは姉の巻き添えを食った結果なので頷けないし、喘息持ちで苦しんでいるのに姉ばかり心配しているのも気に食わない(3枚目も写真)。
  
  
  

3人は孤児院に到着する。一緒に廊下を歩いているのは、院長か管理責任者。「家族の方?」。「付添いの憲兵です」。「なぜ制服を着てない?」。この一言で、この男性の官僚主義的な非寛容さが分かる。子供を怯えさせないという配慮が見抜けないとは、孤児院の管理者として失格だ。アントニオが「子供と書類は引き渡したので、帰りますよ」と言うと、「そんなに簡単じゃない」と言って部屋に入らされる。待たされるのがつまらなくなったルチアーノは、アントニオのいる部屋に近付いて行く。中からは、男性が電話をかけている声が聞こえる。「君は責任を取れるのかね? 私は取らん! 医師の診断書もないんだぞ! この少女を、同列に扱うことはできん! 特別なケアが必要だ、誰かが面倒をみないと。誰が、そんな事態の責任を取るんだ。私じゃないぞ!」(1枚目の写真)〔事なかれ主義の官僚の典型だ〕。ルチアーノが覗いていることに気付いたアントニオは、姉と一緒にいるよう命じてドアを閉める。「あの子たちは、ここには場違いだ。私の見るところ、2人はシチリア人だ。確かなことが一つある、ここには置いておけん。本人たちのためにも、他の孤児全員のためにもだ!」。ルチアーノは、教室を覗いてみる(2枚目の写真)。教えているのは修道女だ。きっとルチアーノは、その光景が羨ましかったのだろう。アントニオは、孤児院から外に出て埠頭の公衆電話からボローニャで降りた同僚にSOSの電話をかける。「受け入れを拒否された。診断書が付いてないからだそうだ。だけど、それは言い訳で、少女が邪魔なんだ。どこか他に連れてかなくちゃいけない。もし、あんたがここにいたら、中隊長に相談できる。俺だけで、公衆電話から何ができる? 寝る場所すらないんだ!」「ボローニャでは何もできん。すぐ電車に乗って明日の朝、ここに来てくれ。もし、何か起きたら、大ピンチなのはあんたなんだぞ!」「そうか、勝手にするんだな!」。かくして、アントニオは孤立無援のままチヴィタヴェッキアに取り残される。アントニオが上官に相談しなかったのは最大の失敗だが、それは、ボローニャで職務放棄した同僚を守るためだったのか? 孤児院では、手癖の悪いロゼッタが何かを盗み、「これ、ポケットに突っ込んどいて」と言うが、ルチアーノは無視する。代わりに、「僕たち、どうなるの?」と訊く(3枚目の写真)。「ここを追い出されたら、分かんない」。「どうして追い出されるの?」。「たぶん、あたしのせい」。そこにアントニオが戻ってくる。「じゃあ、行こうか」。
  
  
  

3人は、なぜか、ローマのニコラ・カリパリ(Nicola Caliari)公園にいる(1枚目の写真)。背後に見えるのは、世界遺産にもなっているサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂。352年に建てられ、432年改築された時の姿が残るローマで最も素晴らしく秀逸な教会だ。12世紀のモザイク装飾が施されてはいるが、36本のイオニア式列柱で支えられた木造のフラットな天井は世界広しといえども、ここでしか見られない。せっかくなので、私が撮影した内部の写真を添えておこう(2枚目の写真)。ロゼッタは、「あれ、サン・ピエトロ〔バチカンの大聖堂〕?」と訊き、アントニオが「そうだ」と言うと、「バカね。サン・ピエトロにしては小さすぎるわ。TV見たことないの?」と軽蔑する。ロゼッタはいつも小生意気だ。「これから 別の電車に乗るの?」。「ああ」。「どこに行くの?」。「シチリアだ」。「どこで聞いたの? あたしたちシチリアで生まれたのよ」。ローマから遠く離れたシチリアまでアントニオがなぜ行こうとしたかについて、映画では何の説明もなく、シチリアについて言及しているのはこの部分だけ。アントニオはテルミニ駅の場所をキオスクで尋ねる〔そもそも、どうして3人は、こんな場所にいるのだろう? チヴィタヴェッキアから電車でローマに来れば、駅から出ずに乗り換えられるのに/ローマの鉄道は一極集中で、すべての路線がテルミニ駅に集中している〕。その間に、ルチアーノは人だかりのしているところに近付いていく。そこでは、トランプを使った賭けが行われていた。ルチアーノは割り込んで近くで見ていたが(3枚目の写真)、子供は邪魔なので締め出される。アントニオは、「何か食べた方がいい」と勧めるが、ルチアーノは相変わらず何も食べない。「ぺてん師のどこが面白い? お金を捨てるだけだ。あいつらは刑務所に行くべきだ」。ロゼッタ:「どうして? どこが悪いの?」。「泥棒より始末が悪い」。「何も分かってないのね」。「君は、知りすぎてる」。チヴィタヴェッキアの孤児院が引き受けなかった理由は、ここにあるのかもしれない。3人は、公園から真っ直ぐ東に向かい、線路沿いのジョヴァンニ・ジョリッティ(Giovanni Giolitti)通りに出る。ルチアーノの歩く速度がどんどん遅くなる。列車の発車時刻があるのでアントニオが急かせるが、遂に歩くのをやめ、フェンスにすがるようにうずくまる(4枚目の写真)。ロゼッタは、しばらくして寄ってくると、「これ渡して。治るわ」とだけ言って喘息の吸入器を渡す。それにしても、普通は本人が持っているはずの吸入器を なぜロゼッタが持っているのだろう? それに、渡すのも遅いし、病名も告げない。これまでの言動もそうだったが、この姉、どう見ても弟思いには見えない。結局、少し休ませることにして、アントニオは知人の憲兵のアパートに立ち寄る。話を聞いた知人が、「もし俺なら、上官に電話して、手を引くな」と忠告するが、「どうしようもないんだ」と答える。やはり、ボローニャの同僚を守っているのだろうか?
  
  
  
  

休憩後、テルミニ駅へ。待合室に着いたところで、ロゼッタが文句を言う。「いつも、急げ、急げばっかし。で、今度は待つワケ?」。アントニオは、ルチアーノに、食べ物の入った袋を見せ、「食べるかい?」と訊くが返事がないので、「ここに置いておく。何も食べてないだろ」と心配する。それに割り込むように、ロゼッタが 「トイレに行きたい」と言い出したので、アントニオは「座って待ってろ」と言い、再びルチアーノに、「今日は、驚かしてくれたな。なぜ病気になったか分かるか? 何も食べないからだ」と諭す。その間にロゼッタがいなくなる。アントニオは仕方なく女子トイレに入って行き、個室をノックしてロゼッタがいることを確かめる。出てきたロゼッタは、「使用中」の文字が読めないのかとなじり、歯をみがきたいとダダをこね、乗車後でも磨けるとの意見には、揺れるからと断る。さらに、「ここは、女子トイレだから、いちゃダメでしょ」と言ったかと思うと、ワザとおしゃべりをしながら歯を磨き、歯のきれいさを自慢する。怒ったアントニオは、「もし、君のママが外見じゃなく、君のことを思ってたら、君はここにいなかった」と叱る。この真実の言葉は、ロゼッタの心に突き刺さった。トイレから出て行くと、待合室とは反対方向に歩き始め、アントニオが止めようとすると、「放っといて!」と暴れる(1枚目の写真)。ようやく待合室に戻ると、ルチアーノは横になって寝ていた(2枚目の写真)。アントニオが、ロゼッタに「落ち着いたか」と訊くと、また憎まれ口。ロゼッタの不幸な生い立ちを考えれば仕方がないのかもしれないが、生意気なことに変わりはない。2人は再びコンパートメントに乗る。長距離列車の中、アントニオはまた通路の補助イスに座っている。通路に出てきたロゼッタは、「あたしは最初の孤児院で嫌われた。次でも嫌われるかも。どこでも嫌われるのよ」と言う。そして、コンパートメントに戻ると、眠っているルチアーノの頭を優しく撫でる(3枚目の写真)。ルチアーノに優しく接した初めてのシーンだ。自分のせいで行き場所がなくて苦しむ弟を可哀想に思ったのであろう。
  
  
  

アントニオはカラブリア州のどこかの駅で降り、バスに乗り換えて姉のレストランに向かう。食事と風呂のためとされるが、寄り道であることには変わりない。この辺りからアントニオの「任務からの逸脱」が始まる。レストランは、姉もしくは知人の娘の聖体拝受の祝いのため臨時休業中。行事がなければ、姉と祖母に会っただけで、何事もなく滞在できたのだが、そうはいかなかった。50名もの人と一緒に食事を取るハメになる。アントニオは、姉には、2人を曹長の子供で、ミラノからシチリアまで連れて行く途中だと紹介する。前半は嘘で後半は本当だ。アントニオは80歳になる祖母に会いに行くが、ひょっとしてそれが途中下車の理由の1つかもしれない。お祝いのパーティが始まると、アントニオはパパレオ(Papaleo)夫人の横に座る。どういう人物かは不明。アントニオは、姉には「曹長の子供」と言ったが、この女性には何も言わなかった。それが不幸を呼ぶ。詮索好きな彼女は、「あなたの子供じゃないわよね」と言った後、「離婚した女性と住んでて、その連れ子だったりして」と盛んに興味を示す。そして、アントニオの目が監視するように子供たちを見ていることに気付く。ロゼッタは、聖体拝受を受けた少女の髪を整えている。それを見た女性は、「あの子の顔、誰かを思い出させるわ」と言い出す。危険信号だ。一方、ルチアーノは何も食べずに、ロゼッタの顔をじっと見ている(1枚目の写真)。「食べなさいよ」。それでも、何も食べない。アントニオがパパレオと政治談議を始めたので、夫人は席を立つ。自分の杞憂を確かめに行ったのだ。ルチアーノは、片隅に1人でいるアントニオの祖母の隣に座る。すると、祖母から自慢の孫の5歳の時の写真を見せられる(2枚目の写真、矢印は写真)。ロゼッタが少女の手相を見ていると、そこにパパレオ夫人がやって来て 少女を去らせて2人きりになる。「ミラノにいるお父さんを訪ねたのね?」。「ええ」。「お父さんがミラノに配属されたから?」。「ええ」。「どこに住んでるの?」。「ママと一緒の村に」。「じゃあ、ご両親は別居中なの?」。「いいえ」。「お母さんのお仕事は?」。「学校の先生」。「誰が嘘を教えたの? お母さんは刑務所でしょ?」。ロゼッタはアントニオの顔を見ると、席を立って出て行った。何事かと寄ってきたアントニオに、夫人は、「やっぱり見た顔だったわ。この雑誌よ」と言って、「11歳の売春婦」と書かれたロゼッタの顔写真付きの雑誌を見せる。目隠し線が細いので、簡単に顔が見分けられる(3枚目の写真)。それにしても、傷口に塩を塗るような行為はひど過ぎる。実に意地悪な女性だ。アントニオは、レストランを出て国道沿いに歩いているロゼッタを追いかけ、「あいつは大バカだ。気にするんじゃない。ここは俺の家だ。あんな奴 追い出してやる。謝罪させてやる。戻って、『これが俺たちだ』って見せつけてやろう。痛くも痒くもないってな。それから、軽蔑してやればいい」(4枚目の写真、矢印は遠くで見ているルチアーノ)。ロゼッタは、アントニオの胸に顔をうずめながら、「ここから、あたしたちを連れ出して」と頼む。
  
  
  
  

アントニオはレンタカーを借りて、ヴィッラ・サン・ジョヴァンニ(Villa San Giovanni)に向かう(1枚目の写真)。ここから、フェリーに乗れば30分でシチリアの玄関メッシーナだ〔私がBMWのレンタカーを運転してこのフェリーに乗ったのは1986年。映画の6年前だ〕。フェリーの甲板でルチアーノは、「いつ着くの?」(2枚目の写真)と訊く。ルチアーノが、初めてアントニオに口をきいた瞬間だ。「なんだ、口がきけるのか」。ルチアーノは下を向いて同じ質問をくり返す。アントニオ:「時が来たら」。「姉さんの言いなりだったね。姉さんが泣けば、誰だってイチコロなんだ」。「泣いたことないのか?」。「なぜ泣くのさ? 何も悪いことしてないのに」。「ロゼッタだって そうだ。責任を押し付けるな。ガキのくせして」。アントニオに父親のことを訊かれると、「15歳になったら、見つけ出して、一緒に旅をするんだ」と言う。「姉さんはどうするんだ?」。「知ったことか」。「一体どうしたんだ? 姉さんの面倒くらい見ろ。二人とも仲良くしないと、他に誰が助けてくれる?」。フェリー上でのシーンはこれで終わり。次は、恐らく、メッシーナのホテルで。アントニオは寝室2つの部屋を借りる。売春婦だった女性がいるので、子供2人と、自分の部屋とをきっちり分けたかったのだ(3枚目の写真、矢印の向こうがアントニオの寝室)。部屋の外で、アントニオとロゼッタが話し合うシーンがある。「孤児院はあたしのこと知ってるかな?」。「何を?」。「雑誌、見てるかな?」。「そうは思わない」。「弟は見たかしら?」。「見てない。俺が破いた」〔突き返しただけで破いてはいない〕。さらに、「あの男、どうなるの? 刑務所?」。「もちろん。あいつ誰なんだ? 母さんの友だちか?」。ロゼッタが軽く頷く。「ママは、どうなるの?」。「裁判を受けるが、軽く済んで釈放されるだろう」。「ママなんか死んじゃえばいい」〔母の方が罪が軽いのは頷けない。売春を娘に強要したような母親は無期懲役でもいいくらいだ〕
  
  
  

翌朝、車は、最終的にノート(Noto)に行くので、シチリア島の東岸をタラゴナ~シラクサを経由して南下する。ところが、最初の海岸のシーンで、海は車の進行方向の右手にある。全く逆だ。このお粗末な映像の理由は、映画の撮影場所マリーナ・ディ・ラグーサ(Marina di Ragusa、シチリア島の南側の町)で撮影した時、うっかり逆向き〔東向き〕に撮影したからであろう。アントニオは砂浜沿い手に砂浜が広がっている場所で車を停め、「喉が渇いた」と言って車を降りる。姉も車を降りると、1人で砂浜を歩いて海辺に向かう。最後に車を出たルチアーノに、アントニオは10分休憩するからと言って 買ってきた飲物等を渡す。姉弟の仲を取り持とうとする作戦だ。しかし、海辺に立つ姉の近くまで行っても、ルチアーノは何もせずに立っている。姉は、海沿いに歩いて行き、一方のルチアーノは砂浜に座り込み、すぐ横にアントニオも座る。ルチアーノは大好きなポテトチップを食べながら、姉の方を見ている(1枚目の写真)。「どこに行くのかな?」。「一人にさせておこう。昨夜は、全然寝てない」。「僕もだよ」。「どうして? 気分が悪かった?」。「姉さん、ずっと泣いてたから」。話題を変えようと、アントニオは、「海の風は喘息に効くぞ」「孤児院はみんな海辺にある。夏は楽しいぞ。好きなだけ泳げる」と言うと、ルチアーノは「水が怖い」と答える。「どうして?」。「泳げない」。そこで、アントニオはルチアーノに泳ぎを教える。このシーンは、2人が親子のようで、とても微笑ましい(2・3枚目の写真)。ロゼッタは、2人の荷物を波打ち際から動かす時、アントニオの5歳の時の写真を見て微笑む。海岸での水泳以降、姉弟はアントニオに対して心を開くようになっていた。
  
  
  

アントニオは、砂浜で遊んでいた姉弟を、浜辺のカフェに呼ぶ。そこには、若い2人連れのフランス女性の観光客もいる。ルチアーノが満面の笑みを浮かべるのは、映画の中でこのシーンのみ(1枚目の写真)。ルチアーノは、「ジョークを1つ知ってるよ」と言って、「犬が子猫を襲った。なーぜか?」と訊く。アントニオが分からないと言うと、「猫ちゃん〔おまんこ の意味もある〕が好きだから」(2枚目の写真)。アントニオが「猫ちゃん」の意味で解釈すると、「違うよ。つがいたがったんだ」と2番目の意味で話す。海岸で最後の幸せなシーンは、コンクリートの波消しブロックの上で眠っていたアントニオの額に、ルチアーノが小さな蟹を乗せる場面(3枚目の写真、矢印は蟹)。2人の息はぴったり合っている。この直後、ロゼッタがやって来て、アントニオのミラノの住所を尋ねる。後から手紙を出そうと思ったのだ。アントニオは、フランス女性から、一緒に車に乗せてくれるよう頼まれる。
  
  
  

そして、ノートの町。ドゥオーモ(大聖堂)前の大階段でロゼッタと2人のフランス人がはしゃいでいる。それを見ながらルチアーノとアントニオが話し合っている。ルチアーノ:「どっちが好き?」。「2人とも素敵だ」。「婚約するんなら、どっち?」。「2人とも夕方には発つんだ。そしたら二度と会えない」。「住所、訊けばいい」。「何のため? 2人とも うんと遠く、パリに住んでるんだ」。ここで話題が変わる。「僕たちの住所、欲しくない?」。「もちろん、会いに来るからな」。「わざわざミラノから?」。「転勤になるかも。この近くに」。「そしたら、すぐ会えるね。だけど、僕が 別の孤児院に行かされたら?」。「君の面倒は俺がちゃんと見てやる。連絡を取り合おう」。「孤児院には何年いるのかな?」。「さあ」。「15歳?」。「たぶん」。「15歳になったら、あんたがどこにいても、必ず会いに行くよ」(1枚目の写真)。この言葉を聞いたアントニオは、ルチアーノを抱きしめ、首筋にキスしてやる(2枚目の写真)。一番感動的なシーンだ。ロゼッタは、フランス女性に頼まれて、カメラのシャッターを押す係りになっている。一方、ルチアーノはトランプを使ってアントニオとゲームをしている(3枚目の写真)。ロゼッタが大階段の前で、ドゥオーモをバックにフランス女性の写真を撮ろうとしていた時、向こうからやってきた男が、いきなりカメラ〔フランス女性の持ち物〕をひったくって(4枚目の写真、矢印は窃盗犯)、逃げ出した。アントニオは、それを見ると全力で追いかけて押し倒し、ナイフを出した男に向かって憲兵の身分証を見せ、逮捕することに成功する。
  
  
  
  

警察署で、姉弟たちは かなり待たされた。ようやく取調室から犯人が連れ出され、カメラの所有者の女性が出てくる。女性は、もう1人の女性に、「憲兵は、子供達を孤児院に連れて行くべきなのに、しなかったのよ。よく理解できなかったけど、児童売春とか何とか。母親が少女に売春させたのよ。信じられる? わずか11歳よ。ぞっとする」。それを聞いたもう1人の女性は、ロゼッタを同情し、渡してあったサングラスをプレゼントしようとするが、自分の素性を知られたロゼッタは突き返す〔女性はフランス語で “prostituée” と言っているが、これはイタリア語の “prostituta” とほぼ同じなので、フランス語の分からないロゼッタも、自分の秘密が知られたと気付いた〕。2人のフランス人が去った後、ルチアーノは、「何て言ってたの?」と訊く(1枚目の写真)。ロゼッタ:「売春婦」。大変勇気のある告白だ。一方、署長室では、褒められると思っていたアントニオは、思ってもいない指摘を受ける。「君は、自分の軽薄な振る舞いについて、認識してるのか?」。「どこが軽薄なんです? 武装した泥棒を怪我させずに逮捕しました」。「泥棒の件ではない。子供の件、児童誘拐の件だ!」。「冗談でしょ?」……「少年は病気でした。喘息で」。「それは3日前の話だ。昨日と今日はどうなんだ? 夜はどうしたんだ?」。「姉の家に連れて行きました。食べさせて、清潔にするためです」。「夜はどこで過ごしたんだ、と訊いてる」。「ホテルで泊まりました」。「同じ部屋で寝たのか? 少女と?」。「何を考えておられるんです? 彼ら2人は同室とし、私は隣の部屋で寝ました」。「今日は、観光客として振舞ってたな」。「少女の具合が悪かったので…」。「その子も病気だったのか? 君は軍隊じゃなくて、赤十字に入るべきだったな。つまりだ、自由奔放に振舞っていた訳だ」。「私の考えでは…」。「考えるんじゃない、命令に従うべきだ。命令はここにある。文書の形でな! それに、君の同僚は、無断で命令に背いた。君の上官に知らせねばならん」。確かに、人間としてみれば、最後の日のアントニオは素晴らしかったが、憲兵としてみれば不適切だったかもしれない。杓子定規に判断すれば後者に辿り着く。それが正しいかどうかは別として。ルチアーノは、署長室から出てきたアントニオをじっと見ている(2枚目の写真)。アントニオは、「行くぞ」と声をかける。ルチアーノは、廊下を歩きながら、「どうして時間がかかったの? 何て言われたの?」と尋ねる(3枚目の写真、矢印は署長)。しかし、アントニオは一言もしゃべらない。
  
  
  

アントニオは、深夜だというのに車を走らせる。ルチアーノが、「どこに向かってるの?」と訊くと、「孤児院」とだけ答える。「今すぐ?」(1枚目の写真)。「当たり前だ」。「でも、もう遅いよ。閉まってるんじゃない? 入れてくれないよ」。「入れてくれるさ」。日中とは180度違い、取り付く島もないアントニオの態度だ。ルチアーノは、「警察で、何て言われたの?」と改めて訊くが(2枚目の写真)、「君には関係ない」。ルチアーノは、変わってしまったアントニオをじっと見つめる。あの、父のようだったアントニオは永遠に帰ってこない。そう思ったに違いない。悲しそうに顔を伏せる。ロゼッタも同じだ。霊柩車のような車内。いつしか時は過ぎ、アントニオは眠たくて運転ができなくなる。道路から脇に逸れ、車を停めると、「10分だけ停まる。君達も眠れ。もうすぐ着く」と言って、眠りに落ちる。
  
  

翌朝の早朝、ルチアーノは目が覚める。アントニオは、10分と言ったが、あれからずっと眠ったままだ。ルチアーノは、アントニオの寝姿を見ると(1枚目の写真)、車を出て、近くの国道まで行って 道路脇に腰を降ろす。次に目を覚ましたロゼッタも、ルチアーノが外にいるのに気付くと、車を出てルチアーノに近寄り、かぜをひかないよう、ジャンパーをかけてやる。そして、隣に腰を降ろす。しばらく黙って座っていた後で、「孤児院じゃきっとサッカーできる。すぐチームに入れてもらえるわよ」と話しかける。これは、昨日の例外的なロゼッタを別にすれば、ロゼッタにしては珍しい言葉だ〔弟に気を配っている〕。アントニオは、二度と、「昨日のアントニオ」に戻ることはないかもしれないが、ロゼッタは変わった。心の枷からきっと抜け出すことができるであろう。そして、姉弟として仲良く生きていけるであろう。そうした希望を感じさせる言葉だ、と思いたい。
  
  

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     イタリア の先頭に戻る               1990年代前半 の先頭に戻る

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